一般財団法人青少年文化研修道場 合気道教室

大阪合氣塾宇治道場

 

合気道 宇治道場,合気道教室宇治,羽賀先生

 

日程

土曜日 13:00~15:00

 

講師

 

羽賀 文彦氏

 

「身体は強く・しなやかに。心は優しく・逞しく。頼もしい人を目指す」

 

子供は礼儀と思いやりの気持ちを養い、大人はストレス・運動不足の解消、シニアには体力気力の増強。男女・年齢問わず誰でも参加できます。

 

京都宇治合気道教室HP http://www.haga3.jp/ 

体験希望の方は希望日、氏名、年齢、運動歴を明記の上

info@haga3.jp (羽賀指導員)までご連絡ください。

 

今、絶大な人気の合気道とは

合気道

合気道」とは「天地の“気”に合する道」の意

 

柔道・剣道・空手道等と並び、21世紀初頭の日本において代表的な武道の一つである[2]。大東亜戦争(太平洋戦争)終了後、一般社会への普及が始まり、日本のみならず世界で大きく広まった。

 

合理的な体の運用により体格体力によらず「小よく大を制する」ことが可能であるとしている点が特徴。
技の稽古を通して心身を練成し、自然との調和、世界平和への貢献[5]を行う等を主な理念とする。

 

合気道の創始者・植芝盛平

 

合気道の創始者・植芝盛平は1883年(明治16年)和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(後の田辺市)の富裕な農家に生まれた。

 

1905年(明治38年)日露戦争出征と前後して起倒流・柳生心眼流などの柔術や講道館柔道を学び、1915年(大正4年)北海道開拓中に大東流の武田惣角に出会いその技に驚嘆し入門、武術的開眼を得る。

 

1920年(大正9年)、父の死をきっかけに宗教団体大本の実質的教祖・出口王仁三郎に出会い入信、大きな思想的影響を受ける。王仁三郎の勧めで京都の綾部に「植芝塾」道場設立、開墾・建設作業に従事しつつ甥の井上鑑昭(親英体道の創始者)と共に「合気武術」を教団内で指導する。

 

1924年(大正13年)出口と共にモンゴルに渡り宗教国家建設を目指し活動するも失敗(「パインタラ事件」)、数々の死線をくぐった後帰国、1925年(大正14年)綾部での修行中「突如黄金の光に包まれ宇宙と一体化する」という幻影に襲われる神秘体験に遭遇(「黄金体験」)、「気の妙用」という武道極意と「万有愛護」という精神理念に達する。

 

理念・精神性

 

「精神的な境地が技に現れる」とされており、他武道に比べ精神性が重視される。これは神道・大本教との関係など、精神世界への志向性が強かった盛平自身の性格の反映といえる。 このように創始者個人の思想や生い立ちが個々の修行者に及ぼすカリスマ的な影響力は、他武道に比して強い。その背景には、小兵でありながら老齢に達しても無類の強さを発揮するなど、盛平に関しての超人的なエピソードが幾つも伝わっており(→植芝盛平・エピソード)、それが多くの合気道家に事実として信じられ、伝説的な武術の“達人”として半ば神格化されていることも大きな理由の一つである。

 

健康法としての合気道

 

合気道は健康法としても人気がある。攻撃してくる相手の力を利用するので(空手や柔道のようには)強い筋力を必要とせず老若男女を問わず誰でもはじめることができ、和合の精神を重視し、また活動は〔組み手稽古〕(試合形式ではなく、二人一組で行う稽古)が中心であることから、健康法としても人気が高く、広く定着しているのである。
例えば以下のようなことが言われている。

 

試合がないので、勝つための過剰に激しい稽古をする必要が無く、年齢体力にかかわらず無理なく自然に心身・足腰の鍛練ができる。
合気道の稽古は、技を左右同じ動きで同回数繰り返すため、左右の身体の歪みを取る効果がある。
受身で畳の上を転がることにより、血行を促す。また受身の習得で転倒による怪我をしにくくなる。
関節技を掛けられることによってストレッチ効果が得られ、関節・筋肉の老化防止や、五十肩などの予防になる。

 

準備運動

 

合気会系の多くの道場で、稽古の始まりに盛平の考案による準備運動を行うのが慣例となっている。身体各部の柔軟などと共に、古神道の禊の行法「天の鳥船」(「舟漕ぎ運動」)「振魂」(「振りたま」)が採り入れられ、また「西式健康法」や「真向法」も取り入れられている。

 

wikipediaより