黄檗山萬福寺
大雄寶殿 |
法堂 |
開山堂 |
通玄門 |
京洛の巽、妙高峰の麓に中国風の伽藍が整然とたたずむ黄檗山萬福寺は、日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つの黄檗宗の大本山であり、専門道場がおかれています。
儀式作法は明代に制定された仏教儀礼で行われ、毎日誦まれるお経は黄檗唐音(明代南京官話音)で発音し、中国明代そのままの法式梵唄を継承しています。
開山は隠元隆g禅師
ことあるごとに人に勧めて「生き物を殺さないように、生き物を放してやるように」と 放生思想を説かれたことでも有名です。承応3年(1654年)長崎に上陸され暫くそこに留まっておられましたが、翌年徳川幕府の許可を得て大阪府下の摂津富田にある慈雲山普門寺に移られ、暫くの間住持をされていました。ここの近くには八幡山があるので、毎月、日を決めて寺の僧に生き物を持っていかせ、放ってやるようにされていましたが、1回も欠かされなかったといわれています。このようなことから生き物の生命を大切にされていたということがよくわかってきます。
『放生を進める偈』というのがありますが、その中で
「優れて立派な人を大徳というが、大徳という言葉は好生ともいいかえられている。これはあらゆる万物の主人である人間は動植物に限らず無情の木石まであまねく恩を施して残すところがないからである。たとえ草木でも生きたいものである。まして鳥やけものではなおさら生きたいものだ。どうか、殺生をしないで生き物を放ってやって慈悲の行いを積み重ね、大きな取引をしている人が立派な品物を一つ一つ買いためて、遂には大商売をするように善徳を積んでゆこうではないか。誕生日とか先祖の命日とかに生き物を放してやったら、たとえその生き物が虫けらであろうとも、またわずか一匹であろうとも、その功徳は偉大なものである。この行いは仏教徒の理想とする菩薩の願いの中でも最も大きなことを成し遂げたことになり、『生き物の父』とよばれる価することにもなる。」
といわれています。
『戒殺放生』を盛んに説かれて導かれたその影響が、僧侶や在家の人達が昔ほどは殺生しなくなったという形に表れているともいわれています。
萬福寺の詳しい内容は↓↓
萬福寺から道場への帰館経路
萬福寺の拝観は総門からとなっていますので、案内の動画の萬福寺出口からの逆行は厳禁です。
萬福寺総門から青少年文化研修道場への経路
萬福寺総門から研修道場への道順をスライド動画にて載せておきます。初めてお越しの方で分かりやすいと思います。