景観

旬のもの

裏の竹藪で育っております。 竹の間引きの為にも美味しく頂戴します。

 

タケノコ   タケノコ

 

少し伸びすぎました・・・。 研修に来られた方へもこの料理をお出し致しましたが、味わって召し上がって頂く時間がなかったようですね。

 

タケノコの側に咲いていました。

可憐な花   可憐な花

庭の池の周りに咲いた花

可憐な花   可憐な花

梵鐘と舷窓

梵鐘  戦艦陸奥   舷窓  戦艦陸奥

 

戦艦陸奥とは

 

戦艦陸奥

 

出典 www.asahi-net.or.jp

 

軍艦 陸奥は長門型戦艦の2番艦。八八艦隊計画二番手である。1番艦の「長門」と共に、日本の力の象徴として戦前の国民に長く愛された。 また竣工当時は世界に7隻しか存在しなかった40cm砲搭載戦艦として『世界七大戦艦』と呼ばれた。

 

「陸奥」と「長門」は交互に連合艦隊旗艦の任にあったため、知名度は高かった。戦前の学校の教科書に描かれたり、男子がイメージする軍艦といえば、当時の連合艦隊旗艦である「長門」や「陸奥」であった。『陸奥と長門は日本のほこり』といういろはがるたも作られている。

 

海軍兵学校でも「陸奥、長門の四〇センチ砲が太平洋を睨んでいればアメリカは攻めてこない」と語り継がれた程である。陸奥湾に入泊した際には多くの青森県民が見学に訪れた。陸奥艦内神社は岩木山神社の御分神を祀っていたため、乗組員も岩木山神社に参拝した。

 

第二次世界大戦中には戦艦「大和、長門」らと共に温存されていたが、1943年(昭和18年)6月8日、原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没。戦後に浮揚作業が行われ、1970年(昭和45年)には、艦体の一部や菊の御紋章、主砲身や主砲塔などが回収され、日本各地で「陸奥」の装備が展示された。大戦末期にアメリカ軍の攻撃で沈没し、終戦後に浮揚され解体処分された他の日本軍艦と異なり、艦体の一部が2011年現在も沈没場所に残っている。 (ウィキペディアより)

 

戦艦陸奥

 

出典 www.kitachan.net

 

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冬景色

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